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資本主義の世界で日本が一人勝ちする方法
それは日本をお金のいらない国にすることだった

 

目次

はじめに

第1章 資本主義社会
 第1節 お金と景気
 第2節 所得格差・資産格差(経済格差)と景気
 第3節 株と景気
 第4節 株はギャンブルか?
 第5節 株価は下落しても儲かる仕組み
 第6節 株の攻略法
 第7節 政府の借金(国債)は国民の借金それとも資産?
 第8節 国債の所得再分配効果
 第9節 インフレと景気
 第10節 消費税と景気
 第11節 消費税と直間比率
 第12節 不景気は地球に優しい
 第13節 景気を良くするためには

第2章 お金のいらない国
 第1節 お金のいらない国とは
 第2節 商品の価格をゼロにする方法
 第3節 みんな既にお金のいらない国に住んでいる
 第4節 お金のいらない国でお金を貰う人払う人
 第5節 日本はどう変わるか
 第6節 日本が一人勝ちする理由
 第7節 お金のいらない国を実現する鍵は互恵的利他主義

おわりに


 

はじめに

 「お金のいらない国」と聞くと、現実離れしたファンタジーの世界のように感じると思います。
 本書では、お金や景気等について多方面から平易に考察してみます。そして、みなさんが資本主義経済の本質を改めて問い直したとき、「もしかして、お金のいらない国の方が、今よりも豊かな生活ができるのではないか?」という考えに至り、タイトルにあるとおり、本当に「資本主義の世界で日本が一人勝ち」する可能性を見出すかもしれません。
 お金のいらない国に興味のある方はもちろん、ありえないと考える方にも是非読んでいただき、「資本主義社会」から、「お金のいらない国」への移行が現実的に可能かもしれないと考えられる人が、少しでも増えることがあれば幸いです。


 

第1章 資本主義社会

第1節 お金と景気

 景気が悪いというニュースを目にするたびに、景気の正体は何なのかと考えることがあります。景気という言葉を辞書で引くと、「景気とは売買や取引などに現れる経済活動の状況」などと記述されています。
 資本主義社会では、人が経済活動をするためには、お金が必要です。このため当たり前ですが、景気はお金に左右されます。
 お金が必要な経済活動とはどのようなものでしょうか。ひとまず、簡単なモデルを例にして景気を考えてみます。
 とある街に、その街のリーダー、パン屋のAさん、酒屋のBさん及び駄菓子屋Cさんが暮らしていました。
 (1) 街のリーダーは、街の景気が悪いので、景気対策としてパン屋のAさんから、100円のパンを買いました。
 (2) パン屋のAさんは、100円の収入を得たので、酒屋のBさんから100円のジュースを買いました。
 (3) 酒屋のBさんは、100円の収入を得たので、駄菓子屋Cさんから100円のチョコを買いました。
 (4) 駄菓子屋Cさんは、100円の収入を得たので、パン屋のAさんから、100円のパンを買いました。
 (5) パン屋のAさんは、100円の収入を得たので、今度は、駄菓子屋Cさんから100円のチョコを買いました。
 (6) 駄菓子屋Cさんは、100円の収入を得たので、今度は、酒屋のBさんから100円のジュースを買いました。
 (7) 酒屋のBさんは、100円の収入を得たので、今度は、パン屋のAさんから、100円のパンを買いました。

 同じような文章の羅列で分かりづらいかもしれませんが、自分の店で売り上げた100円で他の店の商品を買うことにより、パン屋のAさん、酒屋のBさん及び駄菓子屋Cさんは、お互いの店の商品を手にすることができました。リーダーが使ったお金は、たった100円ですが、それぞれ200円づつ、合わせて600円分の商品を手にすることができました。
 この循環は、最初に街のリーダーが100円のパンを買ったことから始まっていますから、景気の第一歩は、売ることではなくて買うことが大切だとわかります。
 この100円が街の中を回り続ければ、100円で店の商品を全部売ることができ、100円の価値は計り知りえないものになります。これが景気の正体であり、景気はお金が循環し続けるかどうかが鍵となります。

 ところで100円が合わせて600円分の商品に交換されたことは、「お金が価値を生み出す」ということなんでしょうか。
 実は、パン屋のAさんは、チョコとジュースを手に入れましたが、その代わりに、パンを2個手放したので、結果的にパン2個をチョコとジュースへの物々交換を行ったことになります。お金は、価値を生み出すわけではなく、商品の交換をしていただけといえます。交換を続けるためには、みんなが儲けた分のお金を使い続けなければなりません。しかし、100円というわずかな金額でも、お金が循環し続ければ豊かな生活を送ることができます。
 このように、パンでチョコやジュースを買うことは難しいですが、商品の間にお金を介在させることにより、パンをあらゆるものに変えることができます。景気とは商品の価値の交換を継続的に行うものでありお金は、それをスムーズに進める役割を持つ道具だということがわかります。

 ところで、パン屋のAさんは、酒屋のBさんが、パンを買ってくれることにより得た100円の収入を、貯金箱に入れました。
 街を循環していたお金は、その100円だけだったので、その後、3人の店にはお客さんが来なくなり、不景気に逆戻りしてしまいました。パン屋のAさんは、街にどれだけのお金が流れているか意識していませんので、お客さんが来なくなった原因は、自分が貯金箱に100円を入れてしまったせいだとは夢にも思いませんでした。
 結局、景気はお金の流れが全てであり、お金の流れが止まったら景気は停滞します。実はその原因が自分たちにあったとは気づきません。景気に一番悪影響を与えるのは、お金の流れを止める行為(ここでは貯金)だということがわかります。
 江戸時代に、「江戸っ子は宵越しの銭は持たぬ」と言われていました。その日に得たお金は、その日のうちに使ってしまう。このおかげで当時の江戸は、景気が良かったのかどうかは知りませんが、まさにこれが景気対策の王道だといえます。

 一方、資本主義は自己の利益を追求することであり、それは資産形成(お金を貯めること)です。パン屋のAさんは、資本主義社会の中で当然すべきことを行っただけです。
 貯金をしなければ好景気は続きますが、貯金をすることが資本主義の目的のため、資本主義を追求すると(貯金によりお金の流れが止まり)必ず景気が悪くなるという矛盾が存在します。

 さて、街のリーダーは、再び、街の景気が悪くなったことを知り、街の住民から話を聞いたところ、パン屋のAさんが 100円を貯金箱に入れたことが原因だと考えました。そこでリーダーはどこかでお金の流れが止まってしまうリスクを減らすために、今度は 300円を使って、パン屋のAさん、酒屋のBさん及び駄菓子屋Cさんの店で 100円づつ商品を購入しました。
 街のリーダーが前回の3倍のお金を使ったので、前回以上に街の景気が良くなりました。実はパン屋のAさんは貯金が好きだったので、またもや、100円の収入を貯金箱に入れました。しかし今回は、残り200円が街の景気を維持したので、店にお客が来なくなることはなく、商品は売れ続けました。
 景気対策は、資金の投資額が多ければ多いほど景気が良くなり、その景気が長続きします。

 月日は流れ、ある日パン屋のAさんは、隣街に行って、惣菜屋さんで100円のコロッケを買いました。隣街では、それまで景気が悪かったのですが、とある街同様に、その100円が街じゅうを循環し景気が回復しました。

 都会で景気が良くなっても地方へ循環していくためには、少し時間がかかります。都会から地方まで景気を良くしようと考えたら、それなりの規模の投資が必要です。ただし都会から離れれば離れるほど、循環してくるお金は徐々に少なくなってくるので、都会ほどの景気の良さは望めないかもしれません。
 これは、水が高いところから低いところへ流れるにしたがって広がっていくことに似ています。その代わり都会の景気が収束し悪くなっても、地方の景気は伝わってくるのが遅い分だけ景気が悪くなるのが遅くなります。

 以上のことから、景気を良くするためには、まず第一にお金を使うことが大切です。同時に、お金を貯めないことです。景気の先行きが見えない状態でお金を使うことは、大きな勇気が必要ですが、一人ひとりが勇気を持ってお金を使うとそれが回り巡って、いずれ自分のところ戻ってくるため、景気はしだいに回復していきます。


 

第2節 所得格差・資産格差(経済格差)と景気

 所得格差が続けば、積み重なっていく貯金等(資産)の格差も増えていくので、所得格差と資産格差は一体です。これらの格差が広がっていくと景気の停滞につながります。前節の繰り返しになりますが、資本主義は、己の利益を得ることが目的であり資産形成は必然なので、己の利益を追求した結果景気が停滞してしまうことは、大きな矛盾を抱えています。
 所得格差がなぜ景気を停滞させるのかというと、外国人観光客の爆買いで景気が良くなった観光地等で明らかなように、景気は購買力と密接な関係があるからです。さらに、お金がなければ商品を購入できないので、所得格差・資産格差は、購買力の格差でもあります。

 例えば年収200万円の人が5人住んでいる街Aと、年収100万円の人が4人、600万円の人が1人住んでいる街Bがあったとします。街Aと街Bの経済規模は共に1,000万円で同じですが、街Aには所得格差が無く、街Bには6倍の所得格差が有ります。
 各街で年間の生活費が100万円必要だとするとき、街Aでは5人の住人がそれぞれ100万円づつ自由に使えるお金が有り、街Bでは、一人の住人だけが500万円を自由に使うことができます。
 もし住人が100万円の車を購入しようすれば、街Aでは5人の住人により計5台の購買力が有りますが、街Bでは、一人の住人しか購買力が有りません。
 所得格差が無い街Aでは、車が5台売れますが、所得格差の大きい街Bでは1台しか売れませんので、所得格差が景気に対して悪影響を及ぼします。もちろん、街Bの一人の住人が、車を5台購入するか500万円の車を購入すれば問題ありませんが、現実的ではありません。実際に、限界消費性向(所得の増加分のうち消費に振り向ける部分の割合)は、高所得者ほど低くなる傾向があります。
 よって、景気回復のためには、高所得者が低所得者の分まで、お金を使うことが重要になってきます。
 また、所得格差と資産格差は一体であるため、資産格差も同様に景気に対して悪影響を及ぼします。一度ついてしまった資産格差の是正は難しいですが、景気回復には所得の再配分が効果的です。

 ところで近年日本で最も景気が良かった時代は、バブル景気の頃です。このバブル景気は経済格差と密接な関係があります。
 バブル景気が起きたのは、金融政策により、銀行が気前よくお金を貸してくれたことが大きな理由ですが、もう1つの要因として、一億総中流社会という経済格差のない社会であったことがあげられます。
 本当に経済格差がなくすべての人が実質的に中流であったかどうかはわかりませんが、人々の中流意識が、みんなが参加するなら自分もというようにバブルというマネーゲームの参加者を増加させました。ゲームは同じレベルの参加者が多いほど盛り上がります。多くの人がバブル景気の波に乗ろうと財テクに走りました。
 ところでバブル景気の後半頃に「シーマ現象」と呼ばれる現象が起きました。これは、シーマという高級車がばか売れした社会現象を表現したものです。当時、シーマが売れた一番の理由は、バブル景気によりお金持ちが増えたことですが、もう一つの理由は、不動産価格が高騰したためマイホームを買えなくなったサラリーマンが、マイホームを諦めてその資金でシーマを購入したことです。
 おそらくこの頃からバブル景気による経済格差が顕在化し、お金がたくさんあるからシーマを買う人と、(家を買う)お金が無いからシーマを買うという人に分かれ始めたと考えられます。

 結果的にバブル景気は、一億総中流社会という格差のない世界で、誰もがゲームに参加するお金持ち選抜ゲームでした。ゲームが終了すれば順位がつきます。その結果は経済格差の拡大という形で現れました。
 景気によってお金が人と人の間を活発に移動していく間に、「成功した人」、「失敗した人」、「ゲームに参加しなかった人」に別れ、経済格差が拡大し始めました。株価が40,000円を目前にして、15,000円台までに下落するとすべての人がお金を失ったように見えますが、実際は、お金を得た人と失った人、つまりお金持ちと貧乏人の両方が存在することになりました。(株については第2節をご覧ください)

 現在は、経済格差がさらに拡大し、ゲームに参加できる人が限られているため、当時のようなバブルは起きにくいと考えられます。もう一度、バブル景気を起こすためには、一億総中流社会のような経済格差のない社会にする必要があります。しかし、景気が収束すればまた経済格差が広がるという繰り返しになり悩ましい問題が起こります。


 

第3節 株と景気

 新聞やニュースで株価が上昇したのに、景気回復を実感しないという街の声を耳にします。これはなぜでしょうか。
 それは、景気回復を実感しない人は株式投資を行っていないからです。株を保有している人の割合は、日本証券業協会の平成27年度 証券投資に関する全国調査(個人調査)によると、国民の12.7%です。残りの87.3%は、株式投資を行っていません。
 このためいくら株価が上昇しても国民の87.3%は、景気回復を実感することができません。さらに株の売買の約70%は、外国人投資家が行っているので、彼らが日本に居住していなければ、その儲けが日本国内の消費にまわることを期待できません。
 ではなぜ株式投資をする人だけが、景気回復を実感できるのでしょうか。それは、株式投資がギャンブルだからです。例えば、競馬場がいくら賑わっても、競馬は馬券が当たった人しか儲からないのと同じです。


 

第4節 株はギャンブルか?

 前節の終わりに株はギャンブルであると主張しましたが、株式投資を定義すると、「株式投資は、『賭博及び富くじに関する罪』に抵触するため、『金融商品取引法』により合法性が確保されたギャンブル」といえます。

 株式投資の特徴を一言でいうなら、ゼロサムゲームのギャンブルです。ゼロサムゲームとは、ゲームの参加者全員の損益の合計がゼロとなるような取引や状況のことを指します。つまり、誰かが儲かれば、誰かが損をするような取引がゼロサムゲームです。そしてゼロサム(合計 = 0)は、経済的に何も生み出さないことを意味します。
 例えば、日本のギャンブルの代表格である競馬の場合、ゲームの損益の仕組みは、各参加者の賭け金の合計から主催者が約25%受け取り、残りの金額を当選者で分配することにより、それぞれの損益が確定します。

 具体的には、あるレースでAさんとBさんが100円づつ賭けて、Aさんが当選したとき、賭け金の合計は 200円になりますので、これを主催者や参加者で分配すると、

(1) 主催者は、賭け金の合計 200円×25% = 50円の利益
(2) Aさんは、賭け金の合計 200円ー主催者の取り分50円ーAさんの賭け金100円 = 50円の利益
(3) Bさんは、ハズレたので、賭け金100円の損

 となります。

 よって、各参加者の損益の合計は、
  50円(主催者)+ 50円(Aさん)+ -100円(Bさん)= 0
 となり、このようなゲームをゼロサムゲームといいます。

 一般的に株式投資がゼロサムゲームかどうかは意見が分かれるところですが、私は、基本的にゼロサムゲームだと考えます。これについて簡単なモデルを例にして説明します。なお競馬の胴元に該当する株式投資の主催者は、売買手数料や利子などで利益を得る証券会社ですが、損益に与える影響は少額であるためここでは無視します。

(1) X社が資金調達のため、1株500円の株を1株発行します。
(2) この株をAさんは、600円で買い、X社は600円の資金を調達しました。
(3) この株をAさんは、700円で売りに出し、Bさんが700円で買いました。
(4) この株をBさんは、800円で売りに出すつもりでしたが、会社の不正経理が発覚して株価が暴落し、Bさんはやむなく300円で売りに出し、Cさんが300円で買いました。
 このように株価は、600円→700円→300円へ推移したとします。

 まず、X社が株を発行してから株価が上昇し、Bさんが、700円で買った時点でのそれぞれの損益を判定してみると、
(1) X社は、600円の資金を調達したので、+600円
(2) Aさんは、600円で買って700円で売ったので、+100円
(3) Bさんは、現時点では、700円を払った状態なので、-700円

 よってそれぞれの損益の合計は、
  600円(X社)+ 100円(Aさん)+ -700円(Bさん)= 0
 となり、株価が600円から700円に上昇したにもかかわらず、それぞれの損益の合計が0であるため、株式投資はゼロサムゲームといえます。 

 次に、X社が株を発行してから株価が下落し、Cさんが、300円で買った時点でのそれぞれの損益を判定してみると、
(1) X社は、600円の資金を調達したので、+600円
(2) Aさんは、600円で買って700円で売ったので、+100円
(3) Bさんは、700円で買って300円で売ったので、-400円
(4) Cさんは、現時点では、300円を払った状態なので、-300円

 よってそれぞれの損益の合計は、
  600円(X社)+ 100円(Aさん)+ -400円(Bさん)+ -300円(Cさん)= 0
 となり、株価が600円から300円に下落したにもかかわらず、それぞれの損益の合計は、やはり0になります。

 このように、株価は上昇しても下落しても、投資家の間でお金が移動しているだけであることがわかります。
 株価が下落するとすべての人が損をしているように見えますが、実際は株価が変動した分だけ、損をした人と得をした人がいます。上記の例では、X社とAさんは儲かり、BさんとCさんが損をしています。
 また、株価が下落して会社の資産○○○円が吹っ飛んだという表現を耳にすることがありますが、先ほどの例で、X社が600円の資金を調達した後は、株価がどのように変化しようと、X社には影響がありませんので、一般的に言われる「資産が吹っ飛んだ」という表現は的確ではありません。

 これは車の流通と似ています。お客が新車を購入したときの利益は製造会社に入ります。それが中古車として、市場を流通すると何回売買されても、売買代金は製造会社の利益になりません。しかし、車の所有者が変わるたびに、新しい所有者と製造会社との間に新たな関係が作られます。例えばリコールが発生した時はその情報が新しい所有者へ届けられます。また、中古車市場でその車の価格が下落しても、製造会社に損失はありません。
 つまり、会社が株式市場で資金を調達した後に、株価が上昇しても下落しても、会社へは資産の減少という直接的な影響はありません。ただ、実際には会社も自社株を保有していると思いますので、その場合は「ある程度の資産は吹っ飛んだ」といえます。


 

第5節 株価は下落しても儲かる仕組み

 株式投資をされない方は、「日経平均株価が〇〇円下落した」というニュースを見聞きすると、株価が下落してみんなが損をしたと考えていると思います。ところが、株価が下落した時に、儲かっている投資家がいます。
 「空売り」というのをご存知でしょうか。第3節の冒頭に記しましたが株式投資をしたことのある人の割合は、約12.7%なので、知らない方も多いと思います。空売りは、手元に株を持ってないけど、その株の保有者(証券会社)から後で返す約束で借りて売り、その後、市場で株を買って返す行為です。株を持っていないのに売るから、空売りです。人から借りたものを売ってしまうという発想が斬新(江戸時代から存在してますが)ですね。
 空売りの特徴は、株価が下落した時に儲けることができることです。株価が下落したのに儲かるなんて不思議ですね。なぜ株価が下落すると儲かるか先ほどの例で説明します。(例では、Eさんという個人から株を借ていますが、一般的に株を借りる相手先は証券会社になります)

 (1) X社の株価が700円の時に、Dさんが、X社の株を保有しているEさんから株を借ります。
 (2) Dさんは、そのEさんから借りた株を700円で売ります。(空売り)
 (3) その後、株価が300円になったときに、Dさんは株を300円で買ってEさんに返します。

 Dさんの損益は、借りた株を700円で売りましたので、この時点で700円手元にあります。株を返す時は、株価が300円の時に買って返したので、投資したお金は、300円です。
 よって、
  700円(空売り)+ -300円(返却)= 400円
 となり、差し引き400円儲かります。
   一方、Eさんは、700円で貸した株が、300円になって戻ってきたので、差し引き400円の損になります。
 この空売りの損益の合計についても、株の返却が終了した時点で、Dさんは、400円儲かり、Eさんは、400円の損失を出しているので、
  400円(Dさん)+ -400円(Eさん)= 0
各者それぞれの損益の合計は0になり、やはりゼロサムゲームになります。

 もちろん空売りすれば必ず儲かるわけではありません。Dさんは空売り後に株価が下落したので、儲けることができましたが、空売りした金額よりも株価が上昇した場合は、損をします。また、借りた株の返却期限が決められていますので(例外あり)、空売りした金額よりも株価が下落してくれるまで、株の返却を待ってもらうことができません。更に株を借りているのでその期間の利息も発生しますので、リスクが高い投資方法です。
 リスクは高いですが、買いと売りをうまく駆使すれば、株価が全く変動しない場合を除き、どんな状況でも儲かる可能性があります。
 空売りをしない一般の投資家は、株価が上昇したときしか儲けることができませんので、空売りを行うことにより、株価が下落しても儲けることができるプロの投資家には太刀打ちできないと思います。

 ところで空売りは、株式投資がギャンブルとして成立するための必須機能です。これにより株価が上昇しても下落しても儲けることができるようになり、シンプルに表現すれば株式投資は上がるか下がるかどちらかに賭ける投資ゲームとして成立するようになりました。江戸時代の博打で言えば、「丁か半か」みたいなものでしょうか。またはカジノのルーレットを例にすると、ルーレットのテーブルで「黒か赤」に賭けるような感じです。
 カジノでは、ディーラーがルーレットを回しますが、株式市場のルーレットを回すのは、株式投資の参加者です。株を買う人の方が多ければ株価は上昇し、売る人の方が多ければ株価は下落しますので、参加者全員の投資行動にかかっています。そういえば株を売買する人をディーラーと呼びますので、ギャンブルとしての縁は深いですね。


 

第6節 株の攻略法

 第3節で株式投資はギャンブルだとお話ししましたが、株式投資がギャンブルだと認識できば攻略法が見えてきます。どんなギャンブルにも攻略法があります。カジノのルーレットの場合「マーチンゲール法」や「モンテカルロ法」など、いくつもの攻略法があります。それらはそのギャンブルの特性に合わせて考案されています。

 例えば、マーチンゲール法というのはオッズが2倍のゲームの場合、負けた時は次のゲームで倍の金額を賭けることにより、それまでの負けを取り戻す賭け方です。ただし、もし負けが続けば損失も倍々に膨らみ資金が枯渇して破綻します。賭ける側の資金が潤沢にある場合は、胴元が負ける恐れもあるので、一般的に賭けられる金額の上限(テーブルリミット)が設けられており、負けが続いて賭け金が、テーブルリミットに達してしまった時、それまで負けた金額の損失が確定してしまいます。
 また、競馬の攻略法にも「追い上げ」と呼ばれる、これと同様の攻略法があります。これはやってはいけない攻略法の代名詞みたいなものですが、オッズの高い複数の馬に賭けると賭け金が抑えられ、勝てる可能性が上がります。ただし、馬のオッズ毎に最適な賭け金が変わりますので、複雑な賭け金の計算が必要になり、スマートフォンアプリのようなプログラムソフトが必要になってきます。この方法については、機会があればどこかでご紹介したいと思います。

 それでは、株式投資の特性は何でしょうか。それは、「株価はみんなで決める」ということです。
 株価は買う人が多ければ上昇し、売る人が多ければ下落します。つまり買う人と売る人の多数決です。資本主義と民主主義の融合ですね。
 結局ありきたりになってしまいますが、株式投資の攻略のポイントは、「より多くの人が買いそうな銘柄を他人より早く買う」または、「より多くの人が売りそうな銘柄を他人より早く売る」です。しかし、早くといっても一般の投資家ができることは限られています。

 より多くの人が買いそうな銘柄は、より多くの人が目にする情報です。具体的には、よく売れている情報誌の推薦銘柄、より多くの人が閲覧している情報サイトの推薦銘柄、大きな証券会社の推薦銘柄などです。
 それらの情報がたとえガセネタであっても、あえてみんなで乗っかれば株価が上昇する可能性があります。
 とは言っても雑誌やネット等の情報を見てからでは、絶対に雑誌の編集者やネットの情報提供者より早く情報を取得できません。雑誌の編集者は、自分たちが買った銘柄を推薦銘柄にしていると考えたほうが論理的ですので、情報発信する者がいかに有利か良くわかります。ということで、最も有利なのは、自ら情報発信することです。
 ところで書店で見かける株式投資の情報誌は、上昇銘柄の予想の情報ばかりで、下落する銘柄の情報は見当たりません。上昇する銘柄がわかるなら、その逆を見れば下落する銘柄も見えてくるはずです。したがって、「下落する株100選」とか「お勧め空売り銘柄はこれだ!」という情報があったら面白いかもしれません。

 上記の方法では、株式投資攻略法とは言い難いので他に何か良い攻略法はないか考えていたときに、ふと思いついたとっておきの攻略法をご紹介します。これは自分の買った株を多くの人に買ってもらうためのアイディアです。
 まず自分が値上がりそうな銘柄の株を買います。次にその銘柄を10人に紹介して買ってもらいます。その10人は、また別の10人にその銘柄を紹介して買ってもらいます。そして、その10人は、また別の…、もうお分かりですね。マルチ商法とかネットワークビジネスといわれるものをちょっとだけ参考にしたものです。
 紹介する人数が10人のとき、子は、100,1000,10000…と10倍に増えていきますが、2人にすれば、2,4,8,16…と倍々に増えていきます。この人数は、株式の規模に応じて変化させます。もちろん株は自己責任で購入してもらい、子に伝わっていくのは銘柄情報だけです。これはピラミッド型をした連絡網のようなイメージです。
 連絡を受けた子は、株を必ずしも買う必要がないので破綻はしません。そしておそらく、情報を受けた子は、次の世代の子が何倍にも増えていくことを期待して、株の購入に踏み切る可能性が高いと考えられます。やがて、情報が広がり株価が上昇し注目銘柄ランキングに登場するなら、さらに提灯買い(注目銘柄などに対しての追随的な買い)が発生し、その銘柄の相場が活況となります。

 この方法は、仕手(大量に投機的売買を行って大きな利益を得ること)のようなものですが、仕手との差は、自分で大量に株を売買する必要がないこと。つまり、個人資金が少なくて済むことです。
 これが成功するかどうは別として、様々な銘柄に対して複数の投資家が行うと株式投資が活発になり、株価の底上げになるかもしれません。

 


 

第7節 政府の借金(国債)は国民の借金それとも資産?

 日本の国債発行額について、新聞やニュースなどで「国の借金、2016年3月末で1049兆円 国民1人当たり826万円」という記事を見聞きします。
 借金には、借りる人と貸す人がいます。国債については、借りる人が日本政府で、貸す人は日本国民です。
 国債は政府が国民からお金を借りている状況なので、国民が借金を抱えているのではなく、国民が政府に826万円を貸していることになります。
 つまり、国民1人当たり826万円もの資産(債権)を持っています。国債を購入している外国人が1割程度いるので、実際はもうすこし少なくなります。

 身近なところで例えると、お父さんが、子供からお小遣いやお年玉を貯めたお金 2,000円を借りたとします。それを学校の「こども新聞」で、「Aさんの家の借金2,000円、子供一人当たり2,000円の借金を抱えている」と記事にされているようなものです。
 それを読んだ子供は、きっとパパに、「僕、パパに2,000円貸しているんじゃなかったの? なんで僕が2,000円借金していることになるの? 」聞くことでしょう。

 つまり国債発行による政府の借金は、国民の借金ではなく、国民の資産です。このことは、新聞記事やニュースの原稿を書く人たちは、当然わかっているはずですので、国民の不安を煽るようなニュースのヘッドラインはどうかと思います。

 国債の購入に関してはとても重要な点が一つあります。国債は日本国民の資金で購入してもらうことが必要です。現在外国人による購入は、約1割ですが、この比率が拡大すると、本当に国民の借金になってしまうので注意が必要です。資産運用を考えている方は、是非、国債に投資されることを期待します。


 

第8節 国債の所得再分配効果

 国債のお金の流れについてよく見てみます。国民は国債に投資して政府にお金を貸し、政府は税金を徴収して国民にお金を返します。そして税金は、国民が働いて稼いだお金です。
 つまり、「自分が貸したお金を、自分で働いて返す。」ことをしています。
(正確には、前者の「自分」は、資産を持った国民で、後者の「自分」は、国民全体です。)

 我々は随分不思議なことをしてますね。この謎はちょっと置いといて、ここで重要なことは、国債は資産を持った国民と国民全体の間で、お金を循環させているということです。よって国債の資金を低所得者層へきっちり移動するような政策すれば、所得の再分配が可能です。

 ちなみに、前節で「国債発行による政府の借金は、国民の借金ではなく、国民の資産」と書きましたが、上記のように実際に政府の借金を返済しているのは国民なので、「国民の借金」という表現は、ある意味正しいかもしれませんね。

 ところで先程の謎ですが、国債の資金は国の事業に投資するので、国民への投資ということになり、国民が働いて稼いだお金を国民に投資をする、言い換えれば、自分が働いて稼いだお金を自分に投資することといえます。これではまだちょっと解り難いので、具体的な例で説明します。

 ある小学校6年生のクラスで担任の先生が何か動物を飼うことを提案し、ホームルームでハムスターを飼うことにしました。ハムスターを飼う費用は、みんなでお小遣いを貯めて買う予定ですが、お小遣いが貯まってから飼い始めるとお小遣いが貯まるまでに時間がかかり、飼い始めてからすぐに卒業することになってしまいます。それで担任の先生は、お小遣いをたくさん貯金している友達から費用を借りて飼うことにしました。そしてみんなで家の手伝いなどをしてお小遣いを貯めて、費用を貸してくれた友達にお金を返すことにしました。
 これを国債に当てはめると、「担任の先生」は「政府」、「ホームルーム」は「国会」、「ハムスターを飼う」は「国債の使い道」、「お小遣いをたくさん貯金している友達」は「資産を持った国民(国債の購入者)」及び、「クラス全員」は「国民全体」に当てはまります。
 つまり国債はクラスでハムスターを飼うのと同様に、みんなでお金を出し合って自分たちのために使っており、ごく普通の経済活動であることがわかります。

 もし、お金をハムスターを飼う代わりに給食費を払えない子供のために使えば、お小遣いをたくさん貯金している友達のお金が、給食費を払えない子供に移動することになります。これは、国債を低所得者のために使えば、資産が低所得者へ移動し、資産格差が減ることを意味します。
 また、家の手伝いをしてお小遣いをたくさん貰った子供は、たくさん返すようにすると、お小遣いの格差が減ります。これは、国債を返済するための税金を、例えば所得税の累進税率を強化して、高所得者から多く徴収すれば、所得格差を減らせることを意味します。
 国債の使い道で資産格差を減らし、国債の返済方法で所得格差を減らす。つまり国債には運用次第で所得格差と資産格差を改善する2つの機能を持たせることができます。


 

第9節 インフレと景気

 日銀はインフレターゲット2%を掲げて金融政策を行っています。ところが、日銀がいくら市場にお金を投入しても2%は達成しそうもありません。
 経済学の教科書には、市場へお金の供給量を増やせばインフレになると書いてありますが、どこにお金が供給量されるかが重要です。今は所得格差・資産格差が拡大したため適切にお金が供給されていない状況に至っています。
 インフレのイメージは、オークションに似ています。オークションで落札価格がつり上がっていくためには、応札できる資金を持っている人が大勢いなければなりません。資金を持っている人が大勢いればいるほど、その商品を入手するため応札が繰り返され、落札価格がつり上がって(インフレになる)いきます。

 現在の経済状況を極端に表現するならば、オークションで最低落札価格を支払うことができる資金を持っている人は一人だけで、他は応札する資金がなく、オークションを傍観しているだけです。このため、落札価格はつり上がることなく最低落札価格で落札(インフレにならない)されます。

 「他は応札する資金がなく」という部分をもう少し詳しく説明します。本来なら、市場にお金が大量に供給されているので、他の人も応札する資金があるはずです。しかし、日銀が供給したお金は、すぐに人手に渡るわけではありません。日銀から供給されたお金は、市中銀行に流れ、銀行が融資することによりお金が人手に渡ります。ところが、銀行から融資を受けるためには、担保(資産)が必要です。もしくは、所得に裏付けされた返済能力が必要です。
 このため、所得格差・資産格差が拡大している現在の状況では、他の人は融資を受けることができないため、「他は応札する資金がなく」という状況に至り、オークションを傍観しているだけになってしまいます。

 つまり、現在の経済状況からインフレを目指すのであれば、お金の供給量を増やす前に、所得格差・資産格差を減らすことが必要です。もしくは低所得者に対して重点的にして、直接国民へお金を配るしかありません。

 そもそも、経済をインフレにする理由がわかりません。メリットとしては、政府の借金(国債)が目減りすることと、年金の受給開始時の年金額が目減りすることにより国の負担が減るくらいでしょうか。しかしそれらは共に国民へのデメリットとなります。
 毎年2%づつ物価が上昇すれば、2年後は4%(1.02×1.02=1.04)、3年後は6%(1.02×1.02×1.02=1.06)…10年は22%程度上昇します。このため、今100円で買えるものが、10年後は122円払わないと買えません。つまり、お金の価値が100/122に目減りします。
 すると借金の価値(借金に価値という言葉を使うのは変ですが)も100/122になりますので相対的に返済の負担が減ります。国債は、もともと国民の資産なのでインフレは、国民の資産の減少につながります。

 次に、「年金の受給開始時の年金額が目減り」について説明します。国民年金は受給が開始されれば物価が上昇しても、物価スライド制度が適用され、ある程度受給額が増額されます。しかし、受給開始時の金額は、納付した保険料に応じて算定されます。このため、長期に渡り納付した保険料がインフレで目減りしてしまうと、支給開始時の金額も目減りします。
 10年後に65歳を迎え国民年金が月額65,000円受給開始になる予定の人は、10年後のその価値は、約53,000円になっています。

 このようにインフレは国民の資産を目減りさせます。資産運用を目的として「金」に投資する投資がありますが、金投資の特徴の一つに「金はインフレに強い」ことが挙げられています。これは、インフレは資産運用にとってマイナスであることを意味します。
 国民の生活が良くならなければ景気は良くなりませんので、やはりインフレは、経済にとってマイナスの影響の方が強いのではないでしょうか。
 更に視点を変えると、本節の後半で「…お金の価値が100/122に目減りします。」と記しましたように、物価上昇は相対的にお金の価値が下落することを意味します。つまり、「年2%の物価上昇を目指す」ことは、「円の価値を年2%下落させることを目指す」ことになります。自国の通貨の価値を下げる政策は、日本にとってメリットがなく推し進めるべきものでないと考えます。


 

第10節 消費税と景気

 アメリカには消費税が存在しないことはご存知ですか。消費税は存在しませんが、売り上げに対して課税される売上税が存在します。
 「売上税も消費税もたいした違いは無い」と言われれば、確かにそうです。しかし、決定的な違いがあります。それは、アメリカの売上税は地方税であり、国税ではないということです。
 売上税が国税では無いことは、アメリカの国としてのポリシーだと考えます。消費大国であるアメリカが国としては導入していないのですから、消費税は消費に対して非常に悪影響を及ぼす税であることがわかります。
 もちろんアメリカの売上税には、他国同様に軽減税率があり、また、特定日に売り上げを増やすため非課税となるタックスフリーデー(Sals Tax Holidays)があります。さらにオレゴン州やモンタナ州など売上税を課税していない州もあります。

 日本では、消費税を5%から8%へ増税したことにより、景気が落ち込み10%への増税は延期されました。この事実だけで、消費税の増税は景気に悪影響を及ぼすことは誰にでも理解されると思います。
 政府は今後、景気を回復させ増税に耐えうる経済にするとしていますが、景気をよくして増税するという論理はとても奇妙な論理です。
 例えば、鉄道の運賃について考えてみてください。運賃の値上げを検討している経営者がいるとします。その経営者は、前回値上げした時に、お客さんが激減したため、値上げしてお客さんが減ってしまえば値上げの効果がないから、ひとまず、お客さんを増やす努力をすることにして、サービスレベルの向上やイベントキャンペーン等行ったとします。その努力が実を結び、お客さんは増加し営業収入も増加しました。
 この後、鉄道の経営者はどうするでしょうか。一般的には、さらなる経営努力を続けて増収を目指すと思います。
 ここで、「これでお客さんも増えたし、運賃を値上げしてお客さんが減少しても大丈夫だ。よし、運賃を値上げしよう!」と、今までの努力を水の泡にするような判断する経営者はいるのでしょうか。
 消費税も運賃と同様です。景気が良くなり消費が増えれば、消費税のみならず所得税も法人税も税収が増えます。せっかく税収が増えたのに、所得税や法人税を犠牲にしてまで消費税を増税して景気を冷え込ませてしまったら、元の木阿弥になってしまいます。


 

第11節 消費税と直間比率

 税金は納税方法の違いにより、「直接税」と「間接税」に分けられます。直接税は「所得税」や「法人税」のように、税金を納める人と税金を実質的に負担する人が一致する税金で、間接税は「消費税」や「たばこ税」のように、税金を納める人と税金を実質的に負担する人が一致しない税金です。
 「直間比率」は、税収における直接税と間接税との比率です。近年、国はこの直間比率を見直すという名目で、日本の直間比率を欧州連合(EU)諸国の直間比率に近づけるため、法人税の減税と消費税の増税を繰り返してきました。
 平成25年度(2013年度)の直間比率の具体的な数値は、財務省のホームページによると下記のとおりです。

(1) 日本 71:29 アメリカ 77:23 イギリス 56:44 ドイツ53:47 フランス 56:44

 これを見ると、日本はEUと比較して直接税の比率がとても高いように見えますが、これは国税と地方税を合算した値です。
 現在、財務省のホームページでは国税と地方税を分けた数値を公表していないため、過去に公表されていた平成22年度(2010年度)の各国の国税のみを比較した数値は下記のとおりです。

(2) 日本 56:44 アメリカ 93:7 イギリス 56:44 ドイツ43:57 フランス 51:49

 この数値を見ると国税の直間比率は、日本はイギリスと同じ値であり、既にEUと同等の値を達成していることがわかります。このため、直間比率を見直してEUに近づけるという大義名分で消費税を増税することはできません。
 ところで、直間比率を見直すことは良いのですが、目を向ける方向が間違っています。なぜ経済力が日本より低いEU諸国の税制に倣おうとするのでしょうか。日本は、先進国ではアメリカに次ぐ内需の国なのでアメリカに倣う必要があります。
 さらに、直間比率と輸出依存度(内需)には相関性があります。平成22年(2010年)の輸出依存度は下記のとおりです。

(3) 日本 14.0% アメリカ 8.5% イギリス 17.3% ドイツ36.8% フランス 19.8%

 これを輸出依存度の高い順に並べると、ドイツ、フランス、イギリス、日本、アメリカの順になります。
 次に直間比率(2)を間接税の比率が高い順に並べると、ドイツ、フランス、イギリス、日本、アメリカの順になり、輸出依存度と相関しています。輸出依存度(3)は高いほど内需は低いので、内需の低い国ほど間接税の比率が高くなっています。これは、間接税がいかに国内の消費(内需)にマイナスの影響を与えるかを物語っています。
 特筆すべきは、アメリカの直間比率 93:7という値です。アメリカには、景気を良くして国民や企業に儲けてもらって、直接税で税収を確保しようという思想が見えます。景気を回復には、直間比率をアメリカに近づける方が効果的です。日本の法人税の実効税率は、約30%でこれはドイツとほぼ同じです。一方、アメリカは約41%となっており、こちらも日本はEUの方に目を向けているようです。
 このため税収を落とさずに日本の景気を良くするには、直間比率をアメリカに倣うようにして、消費税の減税と法人税の増税が必要だと考えます。また、税収が足りない時は、消費税増税よりも国債を発行して歳入を賄う方が景気には効果的です。
 ところで先程、「直間比率が既にEUと同等の値を達成しているので消費税増税の大義名分は無い」と主張しましたが直間比率を変えずに消費税率を10%にすることは可能です。消費税は、国税の消費税と地方税の地方消費税から成り立っており、現在の税率8%の内訳は、国税6.3%、地方税1.7%です。
 そこで地方税分を2ポイント増税し、3.7%にすれば、消費税率が10%になっても、国税分の税率は変わらないので、理論的には国税の直間比率は変わりません。
 しかしこれでは、増税分が地方に配分されてしまうので、国に全くメリットがないように見えますが、地方自治体は、三割自治と言われるように国から地方交付税を交付されているので、国の地方交付税の原資から消費税の増税分を減らせば、ほぼ増税分を国の収入にすることができます。
 簡単に言えば、「地方の自主財源が増えたから、その分地方交付税を減らします。」ということです。
 ちなみに交付税の不交付団体にとっては、きっと増税分がそのまま収入になるのでお得です。


 

第12節 不景気は地球に優しい

 不景気は、我々にとって生活が厳しいですが、地球環境に優しいとも言えます。というのは、不景気だと商品が売れないので商品の生産量が減少し、それに伴い商品を製造するための原料資源や製造に関わるエネルギー資源の消費が減少するので、地球環境にとってはエコロジーです。
 景気が悪いと辛いですが、地球に優しいと考えれば、少しは我慢できるかもしれません。
 ところでエコには、「お金を使わないエコ」と「お金を使うエコ」の二種類があります。お金を使わないエコは節約を主とするものであり、例えば電気エネルギーを節約するために、夜に白熱電球をなるべくつけないで早く寝るなど電気のない頃のライフスタイルを営むものです。
 お金を使うエコは、電気エネルギーを節約するために照明を白熱電球から消費電力の低いLED電球に変えるなど現在のライフスタイルを変えずより進化させていくものです。
 お金を使うエコは、電気エネルギーは節約できても、製品の原料資源や製造に関わるエネルギー資源が必要ですのでトータルでエコであるか見極める必要がありますが、買い替え需要等で景気浮揚効果が期待されるというメリットはあります。


 

第13節 景気を良くするためには

 景気を良くするための最善策は、

 「お金を使う、お金を貯めない」

ことです。

 景気は、お金と商品の交換をしながら、お金が循環していくことであるため、我々一人ひとりが各人の所得に応じてお金を使うことが、最も重要です。一方、お金を貯めることは、お金の循環を断ち切ることになるため景気を鈍化させてしまいます。
 また、お金を貯めていけないのは、企業も同様です。企業の内部留保は、個人の貯金と等価なので、企業の利益をちゃんと労働者へ還元しないとこれもまた景気を鈍化させる原因となってしまいます。ちなみに内部留保は労働者が、賃金以上の富を生み出した結果であるので、還元先は何もしない株主への配当よりも労働者への賃金を優先すべきだと考えます。

 お金をたくさん使うことで景気が良くなり、我々の生活がものに溢れ豊かになりますが、その反対にお金を貯めることは、お金をものに交換することを放棄することになるため、我々の周りからものが乏しくなり豊かさを犠牲にします。
 しかし人々が本当に望んでいるのは景気が良いことではなく、お金をたくさん貯めることかもしれません。
 景気はお金の循環であり、貯金はお金の循環を止めることであり、これらは相反するため、両方とも手に入れることはできません。
 皆さんはどちらを選択しますか。お金を選択するならば、資本主義の世界にとどまり、景気を選択するならば、お金のいらない国への扉を開けることでしょう。


 

第2章 お金のいらない国

第1節 お金のいらない国とは

 ここまでは資本主義社会の景気等について記してきましたが、お金のいらない国は、お金を払わなくても自由に商品を手に入れることができるため、究極に景気の良い世界であります。
 そして商品と引き換えに金銭の授受をすることがないので、お金を得ることができなくなり所得格差が起きません。
 ではどのようにしてお金のいらない世界を構築するのか、そして、それがどのような国なのか、その国の様子をご案内します。

 「お金のいらない国」と聞くと、多くの人は、原始的な物々交換や時給自足、社会主義や共産主義的な暮らしや、共有財産制の下での共同生活及び質素な生活を思い浮かべるかもしれません。これらの生活は、決して我々の生活を豊かにするものではありませんので、そのような世界では資本主義の世界の生活を超えることはできません。本書で提案する「お金のいらない国」は、今よりもさらに快適な生活を手にすることができる経済を目指します。
 そこで、商品の価格をゼロにして、「0円の商品を買う」 という発想がお金のいらない国です。商品の価格が0円であれば、何でもタダで手に入れることができます。
 「お金のいらない」とは、商品の価格が0円なので「お金を使う(払う)必要がない」という意味です。ただし、お金(円)は、外国との貿易等に必要ですので、決してお金を廃止するわけではありません。
 1,000円の商品を0円で売ると、1,000円の赤字ですが、価格0円の商品を0円で売るのであれば、販売者の損失は無く経営は破綻しません。店で販売されている商品が、0円であれば誰もが自由に購入できるので、不景気知らずで超好景気の世界が訪ずれます。ではどのように商品の価格をゼロにするか、次節で説明します。


 

第2節 商品の価格をゼロにする方法

 商品の価格をゼロにする方法はとてもシンプルで、

 「みんなが利益を放棄する」
 (ここでは利益とは、賃金、会社の営業利益等、経済活動で得る利益を指します)

ことです。

 次になぜ「みんなが利益を放棄する」と商品の価格がゼロになるか説明します。
 商品がどのように作られているか辿っていき、その製造に係る経費を調べると全て、それに関わる人の利益で構成されていることがわかります。
 例えば鍋(鍋にもいろいろな種類がありますので鉄鍋の場合)は、原料の砂鉄や鉄鉱石を溶鉱炉(たたら)で製鉄し、製鉄された鉄を溶かして砂で作った鉄鍋の型に流し込んで作られ、次の作業に関わる人の利益が、鉄鍋の価格を決定しています。

(1) 原料の砂鉄を採取する作業
(2) 砂鉄を溶かすための燃料(炭)を焼く作業
(3) 砂鉄を溶かす溶鉱炉(たたら)を作る作業
(4) 砂鉄を燃料(炭)を使用し、溶鉱炉(たたら)で溶かして製鉄する作業
(5) 砂で鍋の型を作る作業
(6) 製鉄を燃料(炭)を使用し溶かして鍋の型に流しこみ鉄鍋を完成させる作業

 よって、これらの作業に関わる人たちが各自の利益を放棄するなら、鉄鍋の価格を0円にすることができます。
 その他、とても複雑な工程を経て生産されるものがありますが、それぞれの工程を分解していくと、商品の価格はそれぞれの作業に関わる人の利益で構成されていることがわかります。

 商品がどのように作られているのか辿りながら考えると物と物が複雑に絡み合っているためややこしくなりますが、視点を変えて、「人が何かをしなければ、そこには自然物以外何も存在しない」と考えれば、「物(商品)」は全て「人の手」によるものだとわかります。
 そして、その「物」に対して、人が利益を要求するとそこには価格が存在し、利益を要求しなければすべての「物」の価格がゼロになります。例えば、石油は人知れず地中に埋蔵された状態では、価格はゼロですが、採掘するという人の手が加わり採掘者等が利益を要求することにより、価格が存在するようになります。

 なお、石油等の外国からの輸入により調達する原料については、外国に経費を支払う必要があるため、いくら国内でみんなが利益を放棄しても原料の価格分を誰かが負担しなければならないため、商品の価格を0円にはできません。
 このため物品等の輸出入については、経費の支払い方法を少し工夫する必要がありますので、「輸入の経費はすべて国が負担、輸出の利益はすべて国の収入(国の代わりに第三者機関でもかまいません)」とします。
 これについては輸出入(貿易収支)に関わらずサービス収支や所得収支等、経常収支に関わるものは全てこのように取り扱うことにします。(ただし、個人的な輸入については、個人で支払うことにします。)
 例えば鉄鉱石を商社が輸入するときは、調達費用の支払いを国が行い、商社は価格0円で製鉄会社へ引き渡します。製鉄会社は、鉄鉱石の調達費用がゼロになるため、これで外国から輸入した原料による商品も国内では価格0円で流通できます。
 また、原料の鉄鉱石からの成果品のひとつである自動車を商社が輸出(輸出は市場の適正価格で行う)するときは、輸出による利益が発生しますが、「みんなが利益を放棄している」ので、商社もまたその利益を得ることはできないため、利益は国の収入とします。

 ところで、利益を放棄しても、これまでに蓄えた資産を放棄する必要はありません。国内ではお金を使う必要がなくなりますが、国外ではお金が必要ですので、預貯金はそのまま銀行等に預けて置いて、海外旅行等外国でお金が必要な時に使うことができます。また、共有財産性を導入しないので、土地や建物の不動産については、所有権を失うことはありませんが、利益を放棄しているので手放すときは、0円で売ることになります。

 「みんなが利益を放棄する」を、もっと噛み砕いた表現をすれば、「みんながボランティアで活動する」です。
 商品の原料を始めとして、すべての商品が人の手から生み出されているので、それに関わる人全てがボランティアで活動すれば、商品の価格はゼロになります。
 先ほどの鍋の例をボランティアという視点で説明してみます。(燃料については輸入品で価格0円とします)
 鉄鍋の製作者がボランティアで鉄鍋を作りをそれを0円で売ると、製鉄の仕入れ経費分が、赤字になります。
 そこで、製鉄業者が、ボランティアで砂鉄を製鉄して、それを鉄鍋の製作者に0円で売ると、鉄鍋の製作者の赤字はなくなりますが、製鉄業者の砂鉄の仕入れ経費分が、赤字になります。
 もし、砂鉄の採取業者がボランティアで砂鉄を採取し、それを製鉄業者に0円で売ると、製鉄業者の赤字はなくなり、砂鉄から鉄鍋に至るまでの経費がすべてゼロになり、誰も損をすることなく鉄鍋を0円で売ることができます。

 このように、「みんなが利益を放棄する」とすべての商品の価格がゼロになり、自由に商品を0円で買うことができます。


 

第3節 みんな既にお金のいらない国に住んでいる

 実はお金のない国は身近なところに存在しています。家族がお金のいらない国の基礎となります。
 例えば、食堂で食事をするとお金が必要ですが、家で食事をするとお金はいりません。旅館に泊まって眠るとお金が必要ですが、家で眠るとお金はいりません。すごく当然なことですが、ここにお金のいらない国を実現させる仕組みが隠されています。ではなぜ家ではお金がいらないのか、食事を作るためには、食材費、光熱費、及び調理する労働力等の調達費用が必要ですが…、それは単にお金を要求していないだけなんです。
 つまり、家族内では無意識に、「みんなが利益を放棄した」状態にあります。
 なお、前節で「利益を放棄しても、これまでに蓄えた資産を放棄する必要はない」及び、「共有財産性を導入しない」と記しましたが、これは家族内でも、それぞれが銀行口座を持ち自分の預貯金を管理し、また、それぞれが自分の部屋を持ち所有権を主張して生活していることを倣ったものです。

 どうして家族の中では利益が放棄されているのか。おそらく誰もが「家族は、絆や家族愛で結ばれた信頼関係にあるから」という趣旨の回答をすると思います。これはとても重要なことです。日本中の人々が絆や家族愛で結ばれた信頼関係を持つことができれば、すぐにでもお金のいらない国を実現できると思います。
 実はもう一つ、我々が気付いていない別の理由があります。それは、「利益を放棄した方が合理的であるから」です。
 なぜ利益を放棄した方が合理的なのか。もし家族内でお金の授受を行ったらどうなるのか親子関係を例に検証してみます。

 家族内でお金が必要になると、子供はお金を稼いでないので食事等のサービスを受けることができず生活できません。しかし、国民には憲法に保障された生存権があるので、健康で文化的な最低限度の生活を営むために生活保護を受けることになりますが、一義的に親が子供を扶養する義務がありますので、結局親が必要な生活費を子供に支給することになります。
 そこで子供は、親から支給された金銭を持って、親から提供される食事等のサービスの支払いに充てます。支払い形態は色々考えられますが、自分の部屋の利用料は毎月、食事とお風呂は食堂や銭湯のように利用するたびに払うことにします…。

 このようなことを少し想像しただけで、「こんな無駄で面倒なことはやめよう。」という気持ちになり、お金を使わないほうが合理的であるという結論に達すると思います。
 我々は、国じゅうでこんな面倒なことをしています。国家という家族の元で国(政府及び日本銀行)が発行したお金を国内でぐるぐる回し続けています。無駄なことを省けば生産性が上がり我々の生活も豊かになります。
 つまり、お金のいらない国の方がお金の授受という無駄な労力を払う必要がないので、合理的に生活を送ることができます。

 このようにお金のいらない国へのアプローチの仕方は、二通りあります。
 (1) 我々が絆や家族愛で結ばれた信頼関係を持つ。これは理想的ですがハードルは高いです。
 (2) 生活を合理的にする手段の選択という名目でお金のいらない国を目指す。

 お金のいらない国を実現するための鍵については、第7節で考察します。


 

第4節 お金のいらない国でお金を貰う人払う人

 実はお金のいらない国になっても例外的にお金を貰う人や払う人が存在します。
 日本で働く外国人は、お金を稼ぐために日本に来ているので賃金を貰う必要があります。また、日本に居住する外国人や日本に来る外国人観光客などは、利益を放棄していないのでお金を払う必要があります。もし、外国人観光客が日本で無料で食事ができたり、お土産や商品を無料で入手できるとそれを目的にした入国者で溢れかえり、日本から富が流出してしまいます。
 また、日本国内の外国籍企業で利益を放棄していない企業は、そこで働く日本人に対して、賃金を払う必要があります。もし、賃金が払われなければ、無料の労働力を求めて進出してくる外国籍企業で溢れかえり、同様に日本から富が流出してしまいます。
 このようにお金を貰う人払う人の判別基準は日本から富が流出するかどうかで決まります。
 なお、国内の企業で働く外国人への賃金の支払いは、企業は利益を放棄しており収入がないので国が支払い、日本人が得た観光収入や外国籍企業からの賃金は、みんなが利益を放棄しているため、国が受取ることとします。(国の代わりに第三者機関でもかまいません)


 

第5節 日本はどう変わるか

1 経済

(1) 生産性の向上
 経済の一番の変化は、生産性の向上です。設備投資に必要な経費が不要になり、設備業者からの機械等の設備の供給が許す限り生産設備をいくらでも増設できるため生産性は飛躍的に向上します。

(2) 金融などお金に関わる業務金融に従事していた人材の活用
 会社や国・地方自治体等すべてに渡り、金融・経理・財政の業務が削減されるので、これらに従事していた人材を他の事業に有効に活用できます。

(3) 予算に左右されない人材の活用
 人件費が不要なので予算がなくても、人材を確保さえすれば生産性が向上します。

(4) GDPの役割
 国内ではお金の流れがなくなるため帰属価値(市場で取引されていない財・サービスの価値)を推計してGDPに含めなければ、GDPは限りなくゼロに近づきます。このため実際の生産活動とは乖離してしまいGDPは豊かさを表す指標ではなくなります。

(5) 国債の償還
 国債については、「みんなが利益を放棄する」状態なので国内の債権者に対する対応は議論する必要があります。ただし、外国人が購入している国債については、きちんと償還しなければなりません。
 外国人が購入している国債の額は国債全体の約1割なので、年間の償還予定額は、財務省のホームページで公表している平成27年度の国債償還額から推計すると、約14兆円となり、また、利子については、長期利率を1%まで見込んでも年間利子は約1兆円となり、合わせて約15兆円となります。
 これに対して、25年度末の政府資産は、652.7兆円 あり、2015年経常収支は16.6兆円の黒字のため償還資金については全く問題ありません。ちなみに政府は換金性のある資産は、ほとんどないとしておりますが、例えば、年金は必要なくなるので少なくとも100兆円余の運用寄託金は流用可能です。

2 仕事・産業

(1) 仕事の形態等
 仕事がどのように変化するのか想像がつきませんが、労働に対して利益を求めないので、全ての人がボランティアで働くことになります。また、労働の対価としてお金を受け取らないため、雇用者と被雇用者及び、お客とサービス提供者との関係が変化し、労働に対する感謝の気持ちを受けることになるので、お金を稼ぐことの変わりとなる、仕事に対しするやりがいが起こるかもしれません。
 仕事の形態としては、組織で働くのをやめて個人で活動する人が増えるかもしれません。そして一人ではできないことは、個人、個人が集まり組織のように行動するかもしれません。いずれにしても、仕事に対してお金以外の何かを求めて、一人ひとりが生きがいや自分の役割を考えるようになれば、業務効率が向上します。
 正規・非正規雇用の格差がなくなり、非正規雇用の特徴である、個人のそれぞれの事情に応じて働きたい時に働くという雇用の柔軟性が活かされるようになります。
 仕事の取引にお金が関わらなくなるので、仕事の成果には「人と人とのコミュニケーション」や「信頼関係の構築」が重要になってきます。

(2)会社の形態
 新規に設立される会社は、必然的にNPO法人となります。会社等の人的な配置は変わっても基本的な組織の仕組みは変わりません。

(3) 研究開発
 開発費が不要のため、人材及びその能力が許す限り、研究開発・技術革新が可能になります。このため、商品の性能でも他国の追随を許さない高い品質の競争力を身につけます。

3 政治

(1) 利権・汚職の少ないクリーンな政治
 国は、国内の事業で予算を組むことがほとんど無くなるので、予算の伴う事業が激減し利権の少ない政治が実現します。(国の予算は基本的に貿易等経常収支に係る項目のみになります。)また利権が少なくなればそれに絡んだ汚職も少なくなります。

(2) 地域活性化
 地方公共団体に対して、上記(1)により国の権限(利権)の影響力が弱くなるため、地方の個性が発揮できるようになります。やる気がある地方は地域活性化し、やる気がなければ、衰退化が進む可能性があります。

(3) 選挙
 選挙にお金がかからなくなるので誰でも立候補が可能になるが、供託金が存在し得なくなるので、売名目的での立候補を抑制するための代替案を検討する必要があります。

4 教育

(1) 教育問題の改善
 いじめや不登校等の教育問題の主たる原因は人間関係であるため、これを解決することは難しいですが、親の仕事などで経済的に制約されていた教育を受ける環境を、引っ越し等により自由に変えることができるため問題の解決に至る可能性があります。
 予算的に制約のある先生の増員やカウンセリングを増やすことが可能になるため、児童や生徒のサーポート体制を強化できます。

(2) 学力の向上
 子供たちのやる気次第ですが、経済格差による学力格差や教育格差がなくなるため、教育水準や進学率が上がる可能性があります。ひいては、優秀な人材を生み出すことになるため、日本の発展に寄与することになります。

(3) 子供の健康
 学校給食を充実せさることができるため、児童や生徒の健康増進を図ることができます。

5 金融・保険

(1) 金融機関の業務
 銀行等の金融機関については、業務量はかなり縮小しますが、日本に居住する外国人への融資等の貸付業務、既存の預貯金を管理する預金業務及び、海外との振込や送金で債権や債務の決済を行う為替業務は、引き続き存在しますので金融機関が不要になることはありません。
 なお、金融機関は、外国人への貸付については、利用者から利息を受け取りますが、日本国民の預貯金については、国民は利益を放棄しているので利子を払う必要ありません。
 また、国内の債権及び債務の取り扱いについては、「みんなが利益を放棄する」ことを鑑みて、どのようにするのか議論する必要があります。

(2) 金融市場の縮小
 株式投資を初め金融市場は、国内では存在意義を失いますが海外との関係は続きますので、業務は縮小しますが継続されます。
 例えば、株式市場は株式売買の約7割が外国人投資家によるため、外国人向けの投資市場として営業することが可能です。株価がどうなるかは想像できませんが、国内企業に対する影響は株価が上昇しても下落してもほとんどありません。

(3) 保険の存在価値
 保険業については、お金が無意味になってしまうので、損害賠償責や慰謝料の価値がなくなってしまいます。このため損害賠償や慰謝料の概念がどう変わっていくのかわかりません。
 国内では保険料を支払ったりする金銭の授受がなくなるため、保険の存在価値は少なくなりますが、海外で業務を行う場合は従来どおりの業務形態が続きます。また、例えば自動車事故の事故処理等の業務は存在し続けるするため、全体の業務は縮小することになっても保険に係るサービス業務は無くなりません。

(4) ギャンブルの廃止
 金融・保険の項目に掲げるのはジャンル違いかもしれませんが、競馬、競輪等の公営ギャンブルや宝くじ及びパチンコ店等については、お金を得る必要のない世界ではギャンブルが成立しないので存在できません。
 なお、パチンコ店については、ゲームセンターのような換金性の無い娯楽施設としてなら存在できますが、既存の利用者は換金性を求めているので、需要はほとんど無くなると思われます。
 このため、ギャンブルによる借金問題やギャンブル依存症等の社会問題が改善されます。

6 観光

(1) 海外旅行
 国内でお金は必要なくなりますが、海外旅行をするときはお金が必要です。海外旅行を希望する日本人に対して国が海外旅行の費用を負担するような仕組みが必要です。
 国の負担で海外旅行へ行けるようになると、旅行客がどの程度増加するのか予想できませんが、平成26年度中 国際収支状況(速報) によれば、経常収支のうちサービス収支(旅行)の支払額は は約2兆円となっています。

7 犯罪

(1) 犯罪の減少
 お金に関わる犯罪が成立しないので、強盗、振り込め詐欺及び万引き等の犯罪が無くなります。
 警察庁のホームページの犯罪統計数値によると、平成24年度の刑法犯総数約140万件発生し、そのうち強盗、窃盗、詐欺及び横領の合計は、約110万件です。このため、約78%もの犯罪が減少します。
 現金がほとんど流通しなくなるので、暴力団の資金源が絶たれます。また現金がなければ、武器や麻薬の密輸入や国内での密売が不可能になり、例えば薬物常習者による犯罪防止等それらに係る犯罪も減少します。
 身代金目的の誘拐がなくなり、不幸にして幼い命が奪われるという悲劇がなくなります。
 犯罪のない世界になるとまではいえませんが、現在よりも犯罪が減少すると予想されます。犯罪が減少すれば、警察の捜査を他の犯罪に注力できるので犯罪検挙率及び犯罪抑止力の向上にもつながります。
 これらのことより、国内の治安はより良くなると予想されます。

(2) 自殺の減少
 内閣府のホームページの平成27年中の自殺統計資料によると、「経済・ 生活問題」が原因・動機の自殺は約17%あります。お金に関わる問題が解決すれば、これらの自殺を減少させることができます。

8 社会保障

(1) 社会保障の抱える問題
「年金」「医療」「福祉」等の社会保障の問題は、そのほとんどが金銭問題なので、解決は容易です。

(2) 少子化問題
 少子化の原因でもある結婚の晩婚化や未婚率の増加については個人の価値観の問題なので、改善策は難しいと考えますが、結婚を妨げていた金銭問題、学歴、結婚の条件である収入が意味のないものとなり、条件面のハードるがさがり、結婚という少子化問題の最初のステップを超え易くなります。
 子供を産み育てることに関して金銭的な障害は取り除かれるので、出生率が改善する可能性があります。また、国や自治体等による子育て支援については、予算的な制約がなくなるので保育施設の拡充等、充実した支援ができるようになります。

9 食料

(1) 食料自給率の改善
 生産コストがゼロなので、価格競争力が付き、輸入品より確実に安くなり、また、規模の小さい農家でも機械化が可能であるため生産能力が向上し食料自給率が改善します。
 作物が取れ過ぎた時に市場価格の下落を防ぐため大量に廃棄することがあるが、市場価格を気にしなくて良いので、廃棄する必要がなくなり食品ロスが減少します。
 また、日本の食料自給率が上がれば、輸入してい分を他の国で消費することができるので、世界全体の食糧問題に貢献できる可能性があります。

(2) 農業従事者の増加
 農業を始めるためには、農業機械の購入等の高額な初期投資が必要なので、若い世代にとっては、農業に従事するためのハードルが高いが、お金の心配なく農業を始められるので、農業従事者の増加が見込まれます。

(3) 農地の有効活用
 農地の流動性を妨げている原因として、土地の資産価値の上昇を期待して農地を手放さないことが挙げられますが、土地を売って利益を得るということが無意味になるので、農地の流動性が増し有効活用につながります。

(4) 農産物の多様性
 補助金等が存在しなくなるので、作付けが補助金等の出る品種や儲かる品種に集中することがなくなり、生産される農産物の多様性が増します。

(5) 水産資源の保全
 利益追求による乱獲や密漁がなくなり、資源の保全につながります。

10 資源・エネルギー

(1) 豊富な海底資源の開発
 日本近海の海底には、「メタンハイドレート」、 「海底熱水鉱床」、「コバルトリッチクラスト」及び「レアアース泥マンガン団塊」等の豊富な海底資源が眠っており、その資産価値は一説によると300兆円ともいわれています。
 これらの資源は水深4,000mから6,000mの海底に分布しているものもあり、現在のところ採取等について商業的に採算がとれませんが、採取技術さえ確立できれば、採取に掛かる人件費等あらゆるコストがゼロで採取できるため商業生産が可能となり、資源のない国から、豊かな資源を持つ国へと変貌することができます。

(2) 自然エネルギーの利用
 上記(1)のメタンハイドレードが利用可能になれば、エネルギーコストゼロで火力発電を行うことができます。その他、太陽光発電、風力発電及び地熱発電等の自然エネルギーを利用した発電についても、発電施設をコストゼロで設置することができますので、今以上に自然エネルギーの有効活用が促進され、地球環境の保全に貢献することができます。

11 その他

(1) 希少価値はどう変化するか
 骨董品やマニアックな趣味の世界で希少価値を持つことにより、取引されていた金品が、どのように取引されていくか不明です。希少価値に対して値段をつけられないので、持ち主がお金と引き換えに手放すことがないため入手が困難になるかもしれません。もしかして、品物自体に興味はないが金額が高いという理由で所持していた人は、容易に手放すかもしれません。

(2) 権力の源はどう変化するか
 お金 ≒ 権力という時代が終焉するため、権力を持つものはどのように変化するのか、人柄や人望の厚さといった人格が権力となるのか、肉体的な力が権力となるのか、知性が権力となるのか、我々がどのような人物に権力を与えるのか、そもそも権力というものが意味のないものになるのか未知数です。

 ここまでメリットばかり記しましたが、私が想像できることはほんの一部でしかありません。実際のところ「日本がどう変わるかは」我々の意識による影響を強く受けますので、皆さんも是非どのような世界になるのか想像してみてください。


 

第6節 日本が一人勝ちする理由

 資本主義社会の世界で日本が一人勝ちする理由は、他国との貿易において競争に打ち勝つために必要な、生産能力・開発力・コスト・資源等すべてを飛躍的に向上させることができるからです。また、お金に関わる業務が削減されるので、その人材を他の生産活動に活用できるようになります。

(1) 生産能力 設備投資費0円のため生産設備をいくらでも増設可能
(2) 開発力  開発費0円で開発可能
(3) コスト  生産コスト0円
(4) 資源   海底資源が採取できれば、輸入していた原料費を減らせる  これらの中で最も有効なものは、コストです。製品をコスト0円(国内価格0円)で生産できるため、価格競争力で日本に勝てる国は無くなります。国際貿易において、国内価格0円が認められるかは、怪しいかもしれませんが、いくらで売っても生産コストはゼロなので利益率は、測り知りえません。
 また、工業製品のみならず農産物についても価格競争力で日本に勝てる国は無くなりますので、価格競争力に関わるTTPの影響はほとんど無視することができます。

 ただあまりにも日本が一人勝ちすると、国際社会からクレームが来てしまいますし、一人勝ちしても何も意味がないかもしれません。なぜなら、日本が世界の中で一人勝ちしようがしまいと、我々の生活はもう十分に豊かになっているからです。


 

第7節 お金のいらない国を実現する鍵は互恵的利他主義

 お金のいらない国が実現するかについては、第3節で家族を引き合いに出したように、我々の人間関係が家族同様の絆を持つことができれば、すぐにでも実現できます。しかし、それはとても困難なことです。
 困難なことですが実は、お金のいらない国を実現するための条件である「みんなが利益を放棄する」こと自体は、ものすごくハードルが低いと考えられます。例えば、サラリーマンの人にはちょっと耳元でこう囁くだけです。

 「給料を放棄すれば、すべての物がタダになって何でも手に入るよ。」

と、するとほとんどの人は、自分の給料よりも多くのものが手に入ると判断し損得勘定で給料を放棄することを選択する可能性があります。

 問題は次です。

 「ものがタダで手に入るのなら、働かなくていいんじゃないの?」

と考えて働くのを辞めてしまうことも考えられます。もちろん働くかどうかの問題はサラリーマンだけではありません。農業を営んでいる人やお店を経営してる人などすべての職業に当てはまります。
 職業選択の自由が保障されているので辞めることは自由です。しかし同時に勤労の義務もあるので働くということが必要です。どう働くかは自由です。それが誰かのためになればすべて労働とみなします。例えば、子育てや専業主婦の家事も労働として評価されるようになります。

 お金のいらない国は、みんなが「普段どおりに働く」たったそれだけで成功します。資本主義社会において、働くことが生きがいの人を除けば、人々の一般的な働く動機は、自分や家族のためにお金を稼ぐことです。それを、自分や家族より範囲を広げて、みんなのために働くことを動機にする必要があります。このため、「互恵的利他主義」の考えに基づく行動が必要になってきます。

 互恵的利他主義とは、どういう意味か字面から判断することができます。
 互恵とは、「互いに利益を与え合うこと」です。
 利他とは、「他人に利益を与えること」です。
 つまり互恵的利他主義とは、「互いに利益を与え合うことを前提に、他人に利益を与える考え」です。
 日本のことわざで表現するならば、「情けは人の為ならず(人に情けをかけるのは、その人のためになるばかりでなく、やがてはめぐりめぐって自分に返ってくる)」でしょうか。

 「互恵的利他主義」は、動物の世界でも行われている行為ですので、人にできないことはありません。
 動物の事例で、よく引き合いに出されるのがチスイコウモリの血液のやり取りです。彼らは集団で生活し、夜間に動物の血を吸います。しかし20%程度の個体は全く血を吸うことができずに夜明けを迎え、これは彼らにとってしばしば致命的な状況をもたらすので、血を十分に吸った個体は飢えた仲間に血を分け与えます。

 チスイコウモリは、なぜこのような行動をとるのでしょうか。推測ですが、獲物に出会えるかどうかは確率論の世界なのでおそらく彼らの個体数に関わらず毎晩20%程度は血を吸うことができません。血を吸わなければ死に至りますので、お互いに血を分け合わなければ、毎日数%程度の仲間が減っていき、いずれ絶滅してしまいます。そのため、「種の保存」という目的において、「互恵的利他主義」が備わっているかもしれません。逆に、互恵的利他主義が種の保存のために必要であるなら、人間を含め、すべての生物に、本能として互恵的利他主義が備わっていると考えられます。
 次に「働きアリの法則」というのをご存知でしょうか。働きアリのうち、本当に働いているのは全体の80%で、残りの20%はサボっているという法則です。この働きアリの20%はサボっていることに注目すると、チスイコウモリの20%程度が血を吸えないのは、もしかして採餌をサボっているだけじゃないかとも考えられます。働きアリは仲間のために働いているので、アリの社会も互恵的利他主義といえます。
 チスイコウモリや働きアリの20%が採餌できなかったりサボったりしていても、集団が維持できていることから、互恵的利他主義は、効率が良いと考えられます。つまり、楽観的に考えると我々人間社会でも20%程度がサボって働かなくても、お金のいらない国を維持できるのかもしれません。

 ところで実は、互恵的利他主義はすでに我々の生活に定着しています。例えば、保険(生命保険や自動車保険等)は視点を変えれば互恵的利他主義の一つといえます。
 自動車保険は、万が一事故が起きたときのために加入するものですが、その補償は自分の為なのか、相手の為なのか考えてみると、補償を受け取る相手の為である要素が大きいと考えられます。保険金を支払うのは自分であり、自分の支払った掛け金は、自分の身に事故が起きない限り他人の補償に使われます。
 保険の加入者は、事故が起きたときお互いに補償を受け取る為に、掛け金を払っているので、互恵的利他主義の行動に該当するといえます。また、保険は必要な人に必要な量を与えることにより、少ない負担で大きな利益を得られるようになっているため、この点からも互恵的利他主義は効率的であるといえます。

 もう一つ、みんなが「普段どおりに働く」方策として、労働に対して、経常収支を原資とするインセンティブ(意欲向上や目標達成のための報奨金)を与えることも効果的であると考えます。
 お金のいらない国では、すべての商品がタダなのでお金を貰っても意味がないと思われるかもしれませんが、海外旅行等で外国産の品物を買う等、海外で活動するときにはお金が必要です。世界中がお金のいらない国に変われば、お金が全く必要なくなりますが、資本主義の世界と共存する間はお金が必要ですので、働く動機としてはそれなりに効果があると考えられます。


 

おわりに

 自給自足から物々交換へと変遷していった経済活動は、お金を発明し資本主義へと移っていきました。当時、人はまだ未熟だったので、お金を得るための競争をすることが経済の発展に必要だったのです。(競争のない社会主義や共産主義では経済が発展しませんでした。)そしてやがて、お金から資本主義を学び終えて、次のステップに移る時が訪れます。

 資本主義社会では、産業の機械化は労働者の職を奪います。機械化すればするほど国民は職を失い貧しくなります。機械化で大量に生産しても貧しくなった国民は購買能力がなく商品は売れないため、経済は縮小し国全体が貧しくなります。ところがお金を捨て去ると、産業の機械化は労働の省力化として有効に働き、大量に生産された商品は誰もが手にすることができるため、経済は拡大し国全体が豊かになります。

 現在、我々の努力はより多くの利益を得るため使われ、皮肉なことに、頑張れば頑張るほど他人の利益を減らしてしまいます。なぜなら、限られた量のお金を奪い合うためです。
 そして、どれだけの利益を得られるかは、お金を供給する人のさじ加減で決まります。つまり、我々の幸せは、お金の量でコントロールされています。
 お金を捨て去れば、我々の努力はより多くの利益を他人に与えることになり、そしてそれは同時に自分の利益につながります。
 今のままで良いか、次のステップに移るか、どちらを選択すべきか、皆さんも考えてみてください。


 

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